心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

大学時代ー囲碁部編

入学して、囲碁部に入部した。高校も囲碁部だったので、自然ななりゆきだった。入学式後の茶話会に来ていた一つ上の先輩がちょうど囲碁部員だったので、そのまま入部となった。囲碁というゲームに夢中になっていたし、手狭な部室もそれはそれで親密な空間だった。先輩たちは、あまり単位がないことを逆に自慢するような風潮もあった。
私もいつしか、授業に出なくなっていった。語学は落とすとヤバいということは聞いていたので、その教えを守り語学だけは出ていた。それと、その頃から朝起きるのが、10時以降になっていた。深夜のTVを見て、夜更しをしていて、生活リズムが狂っていたのだった。心身の変調が既に起こっていたが、授業をサボってもなんとかなる大学のシステムでは、その不調が他者に見えづらくなっていたのだった。

大学囲碁界でタイトルを取る先輩もいて、非常にレベルの高い世界だった。個人戦は無理にしろ団体戦には出たいと思って、自分なりに頑張ったが、結局生選手にはなれなかった。「努力すれば勝ち穫れる」と思っていた私の痛い体験だった。

大学生活ー学問編

高校時代、歴史や地理や生物といった暗記科目は苦手だった。短期記憶力が弱くて、意味記憶に結びつかないと、あっという間に忘れてしまうのだ。試験前に一夜漬けしてなんとか対応するが、試験後にはすぐに忘れていく。また、面白みを今ひとつ感じられなかった。反面、人物・思想が魅力的だった倫理は好きな科目だった。
数学は得意科目だった。覚えるべき公式は非常に少ないにもかかわらず、多様な問題に対応できるので、非常にエレガントな学問だと思った。自然科学の礎(*1)であり、かっこいいと思った。今思うと口にすることさえ恥ずかしいのだが、数学者になりたいと夢見がちなことを結構本気で思った。数学を学ぶことが、諸科学への真理へも通じると思われた。
その当時の職業への見通しというのは、かっこよさだけで考えていて、今思うと現実味の無い、甘いことを考えていたように思う。囲碁棋士にないたいとか、研究職に就きたいとか、己の能力をよく見ずにうわべだけで職業を考えていたようだ。

難しい問題に対しても使う道具(公式、ルール)は同じで、万能ナイフだった。知識不足で解けないということはないのだ。教師の言うことはしっかりと理解できたし、問題集も真面目に解いて、学力は着実なものになった。
しかし、大学の数学は、高校とは違った。一気に抽象的な世界に行くし、「公式を覚えて解く」というスキームが成り立たなくなっていった。むしろ、公式や定理の導出方法を考える学問なのだろう。

大学は自由な校風であったが、楽しめなかった部分もある。その自由を充分に享受できなかったのが悔しい思い出となっている。羅針盤が機能不全になっていたのだが、その問題を自ら隠蔽していたようにも思う。
入学当初に数学はやめておいたほうがいいとある先輩から、おそらく好意から言われたが、やってみたかった。入学して履修登録したが、囲碁部が楽しすぎて、いきなり授業を休むようになって、囲碁部に入り浸った。

数学の授業は、休みながらも行っていた。図書館で学習したり、本も読んだ。1回生の線形代数微分積分学は、高校の延長でもあって、なんとか理解できるところもあったが、ε-δ法など基礎的(elemental)な部分がどうしうても頭に入らず、自分でうまく説明や証明できなかった。証明の回答を見ても、どこがポイントかよく分からなかった。しかし、1年生レベルは、まだ公式を覚えて、解くことで単位は取れた。微分積分学なら極座標変換、線形代数なら行列の正規化、複素解析学の留数定理などは出来た。2年生の専門科目になると、いよいよ苦しくなった。公理から始まり、そこから様々定理を導出する話になってくる。授業に出ても分からない。教科書を読んでも分からない。相談できる友達もいない。ましてや教員にも相談できない。

「集合と位相」では、位相という概念が結局ものにできなかった。群論ー群、環、体と一気に抽象化されて分からない。分からない以上に、分からないと言えないのも辛い。質問するのも自分の無知・努力不足が明るみになるので、恥ずかしてく怖かった。幾何は、多様体というものがそもそも理解できなかった。解析はまだなんとか単位が取れたが、それは理解によるものではない。解析の、カラ・テオドリの定理などは。計算の順序が交換できるという一見当たり前のことを詳細に証明した定理である。証明はできないけれど、計算はできるので対応できた。思うに私の数学力というのは、結局計算力に過ぎなかったのだ。深い基礎概念や定理の導出などは、正直お手上げだった。二回生後期の代数学の授業で教授の言葉が、宇宙語のように全く理解できず、演習問題も全く解けず、完全に打ちのめされ心が折れた。三回生では化学を選ぶこととなった。

化学系に行ったものの、実験が苦手だった。いろんな実験機器をうまく扱えない。説明のプリントを見ても、全然頭に入らない。クラスメイトは、きちんと頭に入っているようで、冗談をいいながら手際よく実験を進めている。イオン交換樹脂のカラムを扱うときも、うまく樹脂を円筒に詰められなかったり、流量をうまく調整できなかった。また、X線で測定するために、試料に圧力をかけて固めないといけないのだが、何度やってもうまく試料を作れず、実験パートナーに迷惑をかけた。はっきり言って、お荷物状態だった。

だんだんやる気がなくなり、実験レポートを出せず、担当教官がイライラしながら催促してきた。まだ講義の方が理解できた。そして、3回生の終わりに、研究室を選ぶことになる。全体の説明会は言ったが、その後の個別の研究室の説明会に行けなかった。何も選べなかった。自分が将来何をしたいのかがまるで分からなくなり、パニック状態となった。その頃にようやく学生相談所に行った。ギリギリで研究室を選んだ。それも研究内容ではなく、拘束時間の少なさという極めて不純な動機で選んだのだった。

(注)*1.数学者Eric Temple Bellによる"Mathematics: Queen and Servant of Science"(邦題:「数学は科学の女王にして奴隷」)という本があるそうです。

カテゴリー「人生の振り返り」の目次

時系列順には書いてこなかったカテゴリー「人生の振り返り」の記事に目次を付け、リンクを貼りました。

 

 (小学校ー大学入学)

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 (大学での不調ー就職)

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 (休職時)

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 (東日本大震災グループホーム非常勤職員ー専門学校)

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【さみしさの研究18】深夜高速

高速道路のトンネルの暗い闇の中をずっと一人で走っているように感じる。
「ヘッドライトの光は手前しか灯さない」
手応えのない不確かな旅を続けている。

自分の進んでいる道が正しいのか正しくないのか、目的地に近づいているのかどうかも見積もれず、パニックを起こしそうになる。
孤独でさみしく苦しく窒息しそうになる。

SAに降り立ち、現在地を確認すれば、他の車は既にはるか遠方にいる。いや、既に所用を果たし、戻り方向で出くわしただけなのだ。
同級生は会社でそれなりの地位におり、家庭を持ち、趣味も持ち、充実している。それに引き換え、自分はどうか?
何一つ勝てるところがないと思うと、とたんに自分がみすぼらしくみじめに思える。
「それでいい」とはとても思えず、打ちのめされる

いつもそう思うわけじゃない。「自分は自分さ」「それでいいんだ」と思えるときもある。出勤して、自分の仕事をさばくのに追われているくらいが、精神衛生上は良い。帰宅後一人になったとき、一人であると感じたときにさみしさに襲われ、コンパスを失い、迷子になっている自分に気づく。

でも、年末の「さみしさの大研究」に数名来ていただき研究できた。自分にとって、当事者研究の場は安全基地だなと再確認できた。

対話の文化まつり 2024

小畑さんの対話の文化まつり2024がウイングス京都であり、参加してきました。
14時からのプレイベントでは、トーキングサークル体験会がありました。
17時からは、泉鏡花賞受賞作家の寮美千子さんの奈良少年刑務所で講師をされたときの話を拝聴しました。寮さんのエネルギッシュな語りに引き込まれました。傷ついた少年たちが、語りだすとき、それは個人によって早かったり遅かったりして、タイミングのあるものだと思います。
しかし、語ることによって、確実に何かが変容し、他の少年たちにも波及していく。その様子が浮かんでくるようでした。それは、講師の寮さん自身を巻き込んでかもしれません。最初は、重大犯罪を犯した加害少年に身構えることもあったそうですが、逆にエネルギーをもらう体験があったそうです。(友人は「ヘルパーセラピー原則ですね」と言い、私もそう思いました)
最後は、再びトーキングサークルをしました。個人情報を含むため書けませんが、いろんな語りがありました。その中で、「だれがこの場を安心・安全な場と言った(保証した)でしょうか?」という問いかけがありました。
だれも保証はしていませんが、自然とそういう雰囲気に包まれ、普段できない語りができたように思いました。
帰宅すると、心地よい疲れが出て、ぐっすりと眠れたのでした。

山田太一ドラマ「今朝の秋」

2023年末に脚本家の山田太一が逝去され、「今朝の秋」というドラマが再放送となりました。
主人公の隆一(杉浦直樹)は、働き盛りの50代だが、ガンで余命僅かで病院に入院中。告知はされていませんが、男を作り家を出ていった母タキ(小料理屋をやっている)(杉村春子)が来て、お手伝いさんのようなことをし始めたり、離婚話を切り出された妻悦子(ブティックを経営し不倫していた)(倍賞美津子)が急に面倒をみてくれたりで、自分の余命を勘づきます。
長野県蓼科に住んでいた父鉱造(役:笠智衆)は、嫁の知らせで、東京まで面会に行きます。「したいようにさせればいい」と友人から言われ、「蓼科にいってみたいな」というつぶやいた主人公の言葉を真に受けて、無断離院(!)の形で連れ出し、蓼科までタクシーで連れて行く。母は連れ戻しに追いかけてきたが、隆一にせがまれ、一緒に過ごすことにする。妻子もやってくる。
同じ山田太一脚本の「岸辺のアルバム」でも、妻の不倫はテーマの一つだったな。蓼科に行く間に、悦子と娘の会話シーンも強烈で、娘が「偽物の一家団欒ね。知っているの、お母さんが不倫していることを」
悦子は、「お父さんと違う人を好きになることもあるの」と切り返す。
最終盤で、男は寝そべりながら、家族と過ごす。父も娘も寝そべっていたような気がする。夏みかん(砂糖がふんだんにかかっている!)を皆で食べようとしている。
「ああ、家族っていいもんだなと錯覚しそうだよ」というぼつりとしたセリフが刺さる。
終わりよければそれで良しなのか、それとも…
最初はタキの顔を見るのも嫌がっていた鉱造だが、隆一がなくなり、東京に帰ろうとするタキを引き留めようとする。しかし、タキは断り、「意地を張ったんだから、もう少し頑張ってみる」と言い去っていく。
www2.nhk.or.jp

NHKによる詳細な記事
文中のセリフはうろ覚えなので、細部は正しくないです。興味があれば、実際に見てチェックしてください(笑)

不注意

今冬初めての雪で寒いのにマフラーを忘れる。
やかんの空焚き、風呂のお湯張りの閉め忘れ、洗濯機は終わっているのに置きっぱなしをすることもある。
仕事も部屋を出た途端に忘れ物に気づく。会議を忘れることもある。
これを書いている最中に降りるべきバス停を乗り過ごしそうになった(笑)

【さみしさの研究17】ASKA

ASKAが逮捕されたときは、ショックでした。熱烈なファンというほどではないですが、チャゲアスASKAソロのCDアルバムも何点か持っていて、好きな歌手の一人でした。逮捕報道以降は、聞くことをためらいました。聞くことによって、いかなる理由でも正当化できぬ薬物に手を染めたことを認めることになりはしないか…
そんなことを恐れていたのかもしれません。

その後、福祉の仕事をするようになり、また薬物依存症は治療の難しい病気と知りました。一時の快楽を求めてというよりも、むしろ孤独さや苦しみから逃れるために、薬物に手を出してしまったのではないかと考えが変わっていきました。

その後、ASKAが活動を再開し、新聞にコンサートの広告が出ていました。そのときは、まだ聴けませんでしたが、さらにもうしばらく時間が立ってから、恐る恐る聴きました。ASKAのパワフルな歌声、繊細な詩といったものが、薬物によって壊され、落ちぶれた彼の姿をみせられたら、どう受け止めていいのかを恐れていたのかもしれないと思いました。しかし、それは杞憂でした。還暦を迎えても、なおパワフルな歌声でした。そして、歌詞はますますストレートにさみしさや人間の孤独に向き合ったものでした。以前よりも、もっとASKAが好きになりました。

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【さみしさの研究16】オープン・ユア・アイズ

主人公セサルは、イケメンでプレイボーイの金持ちの息子。親の遺産がたんまりあり、また女性にも不自由しないというなんとも羨ましすぎる境遇の若者。
冒頭、車を車庫から出して街中を走行する。ふと違和感を感じて、車を降りて周囲を見渡すと、街に誰もいない。主人公は驚き誰かを探し、目が覚める。夢だったのだ。このシーンには、観ている私も不安になった。

私たちは、街に住んでいて、日々名も知らぬ人々とすれ違い、生きている。人と人との関係は希薄にならざるを得ないが、誰もいない状況というのは、恐怖感がある。コロナ禍、仕事を終え帰宅すると、独り身の私は、PCに向かい、ある意味引きこもりのような生活になっている。コロナ禍の以前からそういう傾向はあった。今、コロナは五類になっているが、生活はそれほど変わっていない。人と近い距離で接するのが苦手。でも、まったく一人で生きろと言われれば、さみしくて耐えられない。そんなヤマアラシのジレンマを抱える。しかし、程度の差こそあれ、私だけの状況ではないとも思う。

映画の筋は、固定した女性関係を持ちたくないが、そういった関係を迫ってくる女性ヌリアがいる。一方、セサルはストリートパフォーマーの女性ソフィアに気が行く。ヌリアとのドライブ中転落し、大怪我をして大事な顔を損傷する。整形外科的に手の施しようがなく、仮面を被る生活を余儀なくされる。しかし、手術を受け、奇跡的に元通りになる。その頃から、おかしなことが頻発する。
ヌリアと思っていた女性がソフィアだったり、ソフィアと思っていた女性がヌリアだったり。
何が真実が分からなくなっていく…

映画を通して、とても不安にさせられる。そして、何不自由なく生きてきた主人公もまた孤独だったのではないかと思う。
スペイン映画であり、後にハリウッドで「バニラ・スカイ」としてリメイクされたが、私は未見。

イケメンでなくても、顔を失うということはアイデンティティの喪失であり、安部公房の『他人の顔』を連想する。主人公もまた、失われたものーそれは恐らく顔だけではないーを探し求め、もがく。

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映画『レナードの朝』

今日は、午前十時の映画祭で『レナードの朝』という映画を観てきました。
神経の難病で何十年も無反応で過ごしてきた患者(ロバート・デ・ニーロ)が、新任の医師(ロビン・ウィリアムズ)によるケアと新薬によって、立ち上がったり話せるようになったりと劇的に回復します。音楽を楽しみ、外出もできるようになります。
しかし、副作用のために、痙攣が起こり、やがてまた以前のような状態に戻っていきます。
回復の見込みがないと悟り、思いを寄せる女性に病院の食堂で別れを告げますが、女性が引き止め、踊ったことがないという男にその場でダンスを踊るシーンが泣けました。

午前十時の映画祭シリーズを見ていますが、今年だけでも『ディア・ハンター』『レイジング・ブル』『ゴッドファーザーⅡ』、去年も『未来世紀ブラジル』があり、デニーロ出演率が高い(笑)と思いました。本当にそれぞれの作品で、役に入り込む(当たり前といえば当たり前なのでしょうが)姿勢がいいですね。