心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

大学生活ー学問編

高校時代、歴史や地理や生物といった暗記科目は苦手だった。短期記憶力が弱くて、意味記憶に結びつかないと、あっという間に忘れてしまうのだ。試験前に一夜漬けしてなんとか対応するが、試験後にはすぐに忘れていく。また、面白みを今ひとつ感じられなかった。反面、人物・思想が魅力的だった倫理は好きな科目だった。
数学は得意科目だった。覚えるべき公式は非常に少ないにもかかわらず、多様な問題に対応できるので、非常にエレガントな学問だと思った。自然科学の礎(*1)であり、かっこいいと思った。今思うと口にすることさえ恥ずかしいのだが、数学者になりたいと夢見がちなことを結構本気で思った。数学を学ぶことが、諸科学への真理へも通じると思われた。
その当時の職業への見通しというのは、かっこよさだけで考えていて、今思うと現実味の無い、甘いことを考えていたように思う。囲碁棋士にないたいとか、研究職に就きたいとか、己の能力をよく見ずにうわべだけで職業を考えていたようだ。

難しい問題に対しても使う道具(公式、ルール)は同じで、万能ナイフだった。知識不足で解けないということはないのだ。教師の言うことはしっかりと理解できたし、問題集も真面目に解いて、学力は着実なものになった。
しかし、大学の数学は、高校とは違った。一気に抽象的な世界に行くし、「公式を覚えて解く」というスキームが成り立たなくなっていった。むしろ、公式や定理の導出方法を考える学問なのだろう。

大学は自由な校風であったが、楽しめなかった部分もある。その自由を充分に享受できなかったのが悔しい思い出となっている。羅針盤が機能不全になっていたのだが、その問題を自ら隠蔽していたようにも思う。
入学当初に数学はやめておいたほうがいいとある先輩から、おそらく好意から言われたが、やってみたかった。入学して履修登録したが、囲碁部が楽しすぎて、いきなり授業を休むようになって、囲碁部に入り浸った。

数学の授業は、休みながらも行っていた。図書館で学習したり、本も読んだ。1回生の線形代数微分積分学は、高校の延長でもあって、なんとか理解できるところもあったが、ε-δ法など基礎的(elemental)な部分がどうしうても頭に入らず、自分でうまく説明や証明できなかった。証明の回答を見ても、どこがポイントかよく分からなかった。しかし、1年生レベルは、まだ公式を覚えて、解くことで単位は取れた。微分積分学なら極座標変換、線形代数なら行列の正規化、複素解析学の留数定理などは出来た。2年生の専門科目になると、いよいよ苦しくなった。公理から始まり、そこから様々定理を導出する話になってくる。授業に出ても分からない。教科書を読んでも分からない。相談できる友達もいない。ましてや教員にも相談できない。

「集合と位相」では、位相という概念が結局ものにできなかった。群論ー群、環、体と一気に抽象化されて分からない。分からない以上に、分からないと言えないのも辛い。質問するのも自分の無知・努力不足が明るみになるので、恥ずかしてく怖かった。幾何は、多様体というものがそもそも理解できなかった。解析はまだなんとか単位が取れたが、それは理解によるものではない。解析の、カラ・テオドリの定理などは。計算の順序が交換できるという一見当たり前のことを詳細に証明した定理である。証明はできないけれど、計算はできるので対応できた。思うに私の数学力というのは、結局計算力に過ぎなかったのだ。深い基礎概念や定理の導出などは、正直お手上げだった。二回生後期の代数学の授業で教授の言葉が、宇宙語のように全く理解できず、演習問題も全く解けず、完全に打ちのめされ心が折れた。三回生では化学を選ぶこととなった。

化学系に行ったものの、実験が苦手だった。いろんな実験機器をうまく扱えない。説明のプリントを見ても、全然頭に入らない。クラスメイトは、きちんと頭に入っているようで、冗談をいいながら手際よく実験を進めている。イオン交換樹脂のカラムを扱うときも、うまく樹脂を円筒に詰められなかったり、流量をうまく調整できなかった。また、X線で測定するために、試料に圧力をかけて固めないといけないのだが、何度やってもうまく試料を作れず、実験パートナーに迷惑をかけた。はっきり言って、お荷物状態だった。

だんだんやる気がなくなり、実験レポートを出せず、担当教官がイライラしながら催促してきた。まだ講義の方が理解できた。そして、3回生の終わりに、研究室を選ぶことになる。全体の説明会は言ったが、その後の個別の研究室の説明会に行けなかった。何も選べなかった。自分が将来何をしたいのかがまるで分からなくなり、パニック状態となった。その頃にようやく学生相談所に行った。ギリギリで研究室を選んだ。それも研究内容ではなく、拘束時間の少なさという極めて不純な動機で選んだのだった。

(注)*1.数学者Eric Temple Bellによる"Mathematics: Queen and Servant of Science"(邦題:「数学は科学の女王にして奴隷」)という本があるそうです。