心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

重い歯車がようやく動き出すとき

今の自分は、なかなかないリカバリーをしたと自負している。被災したわけではないが、東日本大震災の前後がいちばんつらかった。いろんなことが重なって、どん底だった。その時を知る人が、ここまでのリカバリーを成し遂げたことを見たら、きっと驚かれるだろうと思う。

つらい気分障害が今は落ち着き、治療を受ける場であった精神科病院Aの障害者枠で非常勤職員として働き出し、精神保健福祉士の資格を取得し、今は別の精神科病院Bの相談員(正職員)として働いているのだ。不思議というよりも奇妙な縁を感じる。精神科病院A時代に実習をねじ込んでくれた(!)Mさんが、Aを退職後、たまに精神科病院Bに仕事で来ていて、声をかけてもらうことがある。

「元気にやっている?」

「ええ」

本当は、もっとこの数年の歩みをゆっくり話して感謝したいけれど、胸が詰まって、うまく言葉が繋げない。

Mさんは、障害物があったら、腕力で払い除けて道を作るタイプ。この力強さは、私のPSWのお手本であるが、なかなか真似できない。

精神科病院Aでは、Kさんにもお世話になった。とにかく事務所を出たり入ったりで忙しいけれど、私が話をしたいというとちゃんと時間を割いてくれた。他部署の押しの強い方の対応で困っていると言うと、それはそれで対応策をその場で考えてくれた。Kさんは調整型で、この方も私のPSWのお手本となる人である。

最初は、PSWや支援職になるつもりは本当になかった。やっぱり大変そうだと思った。体調もあんまりよくなく、最初の3年間は午後勤務だった。睡眠障害もきつかった。中途覚醒したあとに、PCで将棋を指す行為がやめられなかった。今思うと、単なる睡眠障害ではなく、自制が効かない行動障害(というのだろうか?)でもあった。それがしばらくして、睡眠薬の新薬が出たということで主治医から勧められた。また、睡眠障害を不幸自慢のように言っていたのを聞いた友人が本気で心配してくれたことがあり、そのときから心を改めて、睡眠に対してもっと真剣に取り組むようになった。少しずつ少しずつ重い歯車が回りだした。

午前勤務にしたが、掃除の業務も入り、掃除に不慣れな私は腰を痛めた。また、慌てすぎて、出来る範囲以上のことをしようとして、疲れてしまった。友人には100%とか120%とか出したらしんどくなるだけだよと言っていたが、いざ自分のことになると自分が見えていなかった。恥ずかしい。そのときもKさんに相談した。「古い勤務時間も生きているから、しんどいときは午後から来てもらってもいいですよ。それと、掃除機かけるときにメチャクチャ力入れてませんか?」と言われた。午後からでも可ということで幾分安心し、また掃除機のかけるフォームも力を入れないようにした。(というか、なぜ掃除機に対してあれほど力をかけていたのだろうか?力をかければ、キレイになるというわけでもないのに(恥))

なんとか午前勤務にも慣れてきた。その頃から、結婚したいと思うようになった。以前はそんな気持ちはなかった。女性と付き合おうと思えなかった。以前は結婚が怖いと感じた。特に子供を持つことが怖かった。それが結婚を望んでいる自分の気持に驚く。しかし、精神障害者が結婚を望むのは困難さも多いことを知る。まずお金なのだ。結婚相談所に言っても、今の収入では相手にされない。それだけではないのだが、正職員の障害者求人はないかとハローワークで探す。何社か応募したが、悉く書類選考で落ちる。年齢や障害の種別もあるのだろう。

ある年の年末、簿記3級の試験勉強をする。8ヶ月前も挑戦したが、惜しくも2点差で落ちた。あまりも残念すぎて、再勉強する気力がなかった。でも、年末に改めてテキストを読み返し、計算を実際にやってみると、とても面白かった。私の友人の父親が中小企業向けのコンサルタントをされていて、簿記の重要性を説かれるが、同時に簿記の成り立ちから有用性をストーリーを聞かせてくれる。

手を動かしながら計算して、始めて簿記の面白さが分かった。その後は、反復練習で問題集を一通り説いた。同時に、勉強する体力が戻ってきているのを実感した。「あれっ、まだやれるんじゃない?」と思うようになった。

職場の先輩Tさんに「相談したいことがある」と言って、飲みに行った。「簿記3級は取れると思います。今後、簿記2級か精神保健福祉士のどちらかを取ろうと思うのですが?Tさん、どう思いますか?」と聞いたら、「今から簿記取ってもねえ。精神保健福祉士の方がいいと思うよ」と言ってくれた。それは、私の思っていることをそのまま代弁してくれたかのような返答だった。(哲学者サルトルいわく、誰に相談するか決めた時点で、回答は決まっているのだという)

その後、一年間精神保健福祉科の専門学校に行く。精神科病院Aも続けて行ったので、大変だったがやりきった。出席率も良くて、あやうく(?)皆勤賞をとるところだった。精神科病院Aには正職員として応募したけれど不合格だった。同時期に応募した精神科病院Bに合格した。そのときの面接を思い出すと、自分を認めてくれたことが思い出され、胸が熱くなる。今の職場では、怒られながらもなんとか食らいついている。専門学校から現在までの歩みは、また別記事としよう。

あっ、でもYさんのことは書いておこう。専門学校に通っているとき、私の進路については、部署の方もなかなか話題にしづらいものがあったと思うが、別部署のYさんは来ては、私の状況を聞いてくれた。Yさん自身も不採用や非常勤職員を経て正職員のPSWとなった方だった。「私だったら取るのに~」と言ってくれて、とても嬉しかった。別病院Bに私は移ったが、今でも交流がある。

成功の秘訣を言えるほどの立場ではないけれど、良かったのは少しずつ成功体験を積み重ねていけたことだろう。精神科病院Aも少しずつ時間数を伸ばしてくれたり、また専門学校通学中は時間数を減らしてくれたりしてくれたので非常に助かった。

友人や職場の方も温かい目で見てくれた。それが全てかもしれない。

もし、今後、当事者で精神保健福祉士を目指す方がいれば、背中を押す側の人間でありたいと思う。