心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

人生万事塞翁が馬

2011年は自分にとって運命が大きく動いた大きな年だった。休職退職し実家に戻り療養したいたものの、うつ病に苦しんでいた。そのときはあまり気づかなかったが、自分の家族は機能不全家族でとてもストレスの大きなものだった。そこに居ては、休養もままなならぬことに気づいていなかった。

その頃、ある就労移行支援事業所に通っていたが、出席することすらままならず、5割程度の出席率だった。

その年の2月に、母が大腿骨を骨折し、救急車で近くの病院に運ばれた。残された姉との二人暮らしとなった。具体的にはよく覚えていないが、とてもしんどかったようだ。ちょっとしたことで姉の機嫌がコロコロ変わることにビクついていた。

さらに、その一ヶ月後東日本大震災が起こった。そのときお寺の営繕の実習に行っていたことを覚えている。遠く京都でも揺れを確かに感じた。直接被害を被ったわけではないが、原子力発電所に放水するシーンがテレビで来る日も来る日も映し出され、この世の終わりを見ている気がして、人間の無力さと絶望感を感じた。

兄と姉と一緒に母の入院するリハビリ病院まで兄が自家用車を運転し、面会に行った。姉が母のお金を預かっていたが、一切記録をつけていなかった。母のお金と自分のお金の区別もつかないし、いい加減なものだ。帰りの車の中で、母のお金の出納帳を作る話をすると、使い込みがバレるので困ったのだろう、姉は「(車から)降ろせ」とキレ出した。困ったらキレればいいという姉の黄金ルールである。そういったごまかしやずるい部分だけ長けてしまった人だ(そしてそれを影で支えていた人が母である)。応対に私も兄も困ったが、結局連れて帰った。

姉との二人暮しに疲れ果てて、母が退院するのと入れ違いに私が精神科病院に入院した。退院後、ほどなくグループホーム(以下GH)入所となった。なぜ、GHということになったのか今でもよく分からない。推測でしか無いが、入院中は平穏に過ごすが、一定期間経つと回転ドア現象ですぐ戻ってくる私の姿を見て、主治医や支援者側にそういうアイデアが浮かんだのかもしれない。

その頃、既に主治医は男性の医師(=現主治医)に代わっていた。薬剤調整によりいつもいいところまで回復するが、それがポキリと折れて、キープできないというもどかしい日々が続いた。「もうこれ以上、よくならないですかね?」と診察の場で弱気な言葉を吐いたところ、現主治医は「みじんも諦めていません」と怒るでもなくサラッとしかしキッパリと真顔で仰った。私は感動して鳥肌が立った。この精神科医を信じないわけにいかないと思った。その後も病状に一進一退はあったけれど、気持ちがだんだんと前向きになっていった。

現主治医も勧めてくれたこともありGH入所に同意したものの、そういうところに厄介になるのは、恥ずかしいというか、私の病気もネクストステージに行ったのかなどと思い、軽くショックを受けたと思う。しかし、実にGH入所から私の(少し大げさかもしれないが)奇跡的なリカバリーストーリーは始まったのだ。「人間万事塞翁が馬」というのは、本当によく出来た故事成語だと思う。