心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

映画「生きる」

正月にNHK地上波で黒澤明の「生きる」が放送されていた。

 

冒頭のナレーションでは、主人公渡邊勘治は「死んでいる」と表現されており、痛烈な言い草だ。しかし、「かつては生きていた」といい、引き出しの中の何かの起案書が映し出される。彼が当時熱意を込めて仕事をしようとして、敗れた記録なのだろう。胃がんと宣告されないが、たまたま居合わせた患者から胃がん患者の特徴を挙げられ、自分もそれに当てはまり、胃がんと察知する。


命をかけて、公園を作ることに粉骨砕身する。時には、やくざものに凄まれても。最後の通夜のシーンでは、成果を横取りした助役が帰った後に、同僚たちが主人公の偉業を称える。「渡邊さんに続け」と意気投合する。

しかし、次のシーンでは、そんなことは忘れたかのように役所で仕事をしている同僚。「おかしいじゃないか?通夜の席のことを忘れたのか!」そんな言葉を発しようとしては飲み込む男。
ああ、そんなもんだと思う。変わらないのだ。この日本という国は。しかし、それでも、主人公のように一瞬でもいいから輝きたいと願う。

 

なぜ、あんなに彼は頑張れたのだろうか?胃がんという確実な死を前に輝きたいと思ったのではないだろうかと思う。

妻には先立たれ、同居する息子夫婦には煙たがられ、居場所のない男。さみしさや悲壮感を感じさせる。若い女性の市役所職員との出会いが彼を変えていったと思う。彼女は、「役所の仕事がつまらない」と平然と良い、玩具会社の工場に転職する。「あなたもなにか作ってみたら」と言われる。

それがきっかけで、住民が陳情するもたらい回しになっていた公園事業に命をかけて取り組む。ルーティンをはみ出し、生きることを選択し始めたのだ。死を前にして、彼は生きることに真剣になったのだ。