心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

大学時代

高校は受験勉強でとても忙しかったです。でも、充実していたとも思います。

勉強のかいあって、自分で言うのも恥ずかしいですが、一流大学に合格しました。

しかし、大学では、部活に打ち込みすぎて、勉学がおろそかになりました。

また、コミュニケーションをとるのが難しいと感じるようになりました。

高校は結構、大学合格という共通の目的をもった同質の仲間でしたが、大学では、様々な価値観をもった人たちがいます。彼らと触れ合うのが、難しいと感じるようになったのです。

飲み会の席でも、うまく話ができず盛り上がれず、悩みました。「浮く」ような感じがしました。

3回生から化学系に進み、勉学をする気にりましたが、3回生の終わりの研究室選びのときに、何も選べない状態となる。どうも、その前から不登校気味でした。

学生相談所の先生と相談しながら、なんとか研究室を決めました。しかし、選ぶポイントが研究テーマではなく、来なければいけない日があまりなく、何時に来てもいいという「ゆるさ」だけで決めてしまいました。生活リズムが既に不安定だったためでしたが、今思うと不純な動機でした。本当は、その頃から生活リズムの立て直しを精神科に相談すべきだったのかもしれません。

 

4回生では、大学院への進学を志しました。周りの大半もそうでしたし、ひとまず就職を先延ばしできますので、そうすることにしました。

院試の勉強をみなでゼミ形式でしました。みんなで勉強できて、楽しかったです。

院試も合格しました。

 

しかし、実験になると緊張しました。実は、3回生のころ化学実験ではなにも出来ませんでした。実験手順を読んでも頭にまったく入らず、棒立ちになることもありました。

はっきり言って、実験には不向きでした。手先が極度に不器用なのです。理論系の研究室に行くべきだったのかもしれません。しかし、研究室に行く時間がいつでもいいという「緩さ」で、ある研究室を選びました。シミュレーションには興味がありましたが、プログラミングが全く出来ませんでした。有機は、化学式や分子式がまったく頭に入ってなかったので、無理でした。

無機の理論系だと、物理化学研究室がよかったのかもしれません。不器用で実験の自信がないまま行って、結局データが得られないまま卒業修了してしまった。

体調不良のまま実験をしていたのも一因だ。

修士論文発表会では、何も中身がないのに、いや中身がないから、時間を残してしまい、先生からの質問を受け、まともな答えができませんでした。顔から火が出るほど恥ずかしかったです。

その後、家に一ヶ月ほどひきもってしまった。もう、誰とも会いたくなかったです。あまりも惨めでした。ただ、研究室の歓送会にはとりあえず来るように言われまして、行くことになりました。あまりの成績の悪さに修了させてもらえないのではないかと言う懸念がありましたたが、それはしてもらえて、就職できました(内定は頂いていたのです)。

 

ひとまず、首の皮一枚で社会人になりました。しかし、前途多難なものだったのは、読者も容易に想像されることだろうと思います。