心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

【さみしさの研究7】大学時代のもがき

私の生まれ育った家庭環境は常にストレスフルだった。平穏な時間だと思っても、家族の誰かによって乱されて台無しにされることが常だった。思春期は特につらかったけれど、勉強することは、私にとってストレス発散であり、心の平穏を保つためにはとても大きな意味を持っていたと思う。

 

中学校・高校時代は勉強でとても忙しかったけれど、志望大学合格という羅針盤(目標)を持ち、共に進む仲間がいたのが有り難かった。宿題が多くしんどかったが、やりがいを持ってこなせていた。ただ夏休みになると、孤独を強く感じ、夜ふかしから生活リズムが狂い、体調が悪くなることが多かった。学業期になると体調は戻ったが、やはりちょっとしたことで体調を崩し、突発的な欠席があった。とはいえ、中学校・高校時代は、それなりに充実していた。

 

志望大学に合格できて良かったが、いざもう何も強制されることの無い自由な環境になると、緩みきってしまった。特に1・2回生のときは、講義にも出ずに囲碁部の部室にたむろしていた。同じように講義をサボる部員たちがいて、安心できた。人見知りだっただけに、居場所であり安全基地となる囲碁部の部室は、とても得難い居場所となった。数学系を志望したものの、才能がない上に努力もしなかったので、2回生の後期には、先生が言っている言葉が全く理解できなくなって、打ちのめされた。3回生から化学系に移ったが、進路のことが迫ってきて焦った。遊んでばかりもいられないことも承知していた。しかし、将来どういう仕事に就くかについて、逃げてばかりだった。研究室選びのときに、説明会に行けなくなり、とうとう精神の危機を自覚せざるを得なかった。学生相談室や学内診療所の精神科に通い始めた。囲碁部では、目指していた正選手になれず、4回生あたりから行く回数が減っていった。

 

特に土曜日の夜にさみしさを感じ、家で一人酒を飲んでいた。ビールだけでなく、ウィスキーも飲んでいた。「スタートレック」や「LA LAW」などの深夜ドラマもよく観ていて、夜ふかしをした。悩んでいたが、何について悩めばいいのかも分からなかった。自己決定もできず、他者にアドバイスを求めることもできず、八方塞がりだった。夜ふかしをすることによって、天啓のようなものが降りてこないかと思っていた。「お前はこれを目指せ」というようなものが降りてこないか、真剣に待っていた。しかし、そんな奇跡は起きずに、次の日の朝は確実にやってきて打ちのめされた。さみしくもあり虚しくもあり孤独であった。眠れなくなり、睡眠薬を飲まないと眠れなくなった。自分が何を目指しているのか、何を目指したらいいのか、羅針盤を完全に見失っていた。

 

なんとか卒業したあとも心の闇(病み)は続き、職場適応できず、2-3年で退職することを繰り返したあと、30代で無職になった。本格的な精神科治療を経て病状は落ち着き寛解状態となった。資格を取ろうという思いが羅針盤となってくれた。専門学校で資格の勉強をして、40代でなんとか正職員の仕事を見つけられた。なかなかここまでのリカバリーをすることは難しく、私は幸運なのだろうと思う。

 

しかし、結局さみしさから逃れられた訳ではなかった。逃げられないものであるならば、どう付き合っていくかを考えたほうが良いのだろう。大学時代と比べると、アルコールの量も減ったし、夜ふかしもしなくなったので、幾分健康的な対処ができるようになっている。なにより、私がさみしさの研究をしていると伝えることのできる知り合いや場を既に持っていることがありがたいと思うのだ。