心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

【さみしさの研究15】さまざまなさみしさ

さみしさにも色々と種類があるようだ

大学時代の飲み会の中で、話をうまく盛り上げられずに感じる孤独感
飲み会前は盛り上がりたいと願うが、大抵そうはいかず、帰り道に一層さみしさを感じた
そもそも、飲み会で急に深まるような関係って、なんだか一過性のような気もするが…
→ このときに感じるものは、「(行き場のない)やるせなさ」というもの

家族に対して、大事な話をしているのにまるで伝わらない
こちらは大真面目で伝えているのに、相手は聞く耳を持たない
話半分で取り合おうとしない
怒りで沸騰しそうな気持ちも抑えないといけない日はつらいものがあった
→ 「言葉や気持ちが伝わらない悲しさ」というもの

連休の最終日、誰にも会わずに一人過ごす
そういう日が暮れかかる夕方頃に感じるさみしさ
「今日は何もできなかった」とふと感じる
→ 「虚しさ」に近いもの

それだけならまだいいのかもしれない
次の日に職場で「連休何をしていましたか?」と尋ねられ、何もなかったことを語らされ、
「さみしい人」と思われることを一番恐れているとあるとき気づいた

さみしさにも実は、いろんなものが含まれている
いいさみしさもあれば、悪いさみしさもある
後者は放っておくと致命傷になる

ただ、人間本来がさみしいものだとも思う
結局は一人で生まれ、一人で死んでいく存在なのだ
その孤独に関しては逃げることはできない

過去のいろんな体験が僕を作り上げてきた
その中には、さみしさや傷も含まれている
さみしさから逃げられないのであれば、それを噛みしめて生きたいと思うのだ