心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

【さみしさの研究8】安部公房

今回、大学時代のさみしさを思い返してみて、自分のさみしさのルーツが分かったような気がする。それはしんどい体験ではあったが、悪いことばかりではなく、不完全燃焼の中自分なりにもがき、何かを求めていた時期で、小説もよく読んでいた。その中で安部公房という小説家に出会えたことはとても意味が大きい。科学実験にことごとく失敗し、満足に卒業論文が書けない絶望的な中、私は当時ブームだったホームページを自作し、安部公房をテーマにした。そのときは、自分の好きなものを誰かに伝えたいと思ったのだと思う。うまい文章とは言えないが、ひとまずの内容と体裁を整えて発表したところ、割合と好評だった。結局、卒業論文はひどい出来だったけれど、せめてもの慰みにはなった。大学卒業後、同じファンに出会い、共同で同人誌を制作するなどの活動や読書会開催ができたことは、とてもありがたい体験だった。
安部公房のどこに惹かれたのだろうか?敗戦間近の日本を脱出し満州へ行き、終戦を迎え、極限状況を味わった彼の描く作品に、同じような孤独を感じたのかもしれない。それだけではなく、安易に情念に流されない論理性と、しかしどこかであり得ない真逆の世界を見せるマジックリアリズムの文体に魅了された。貪るように新潮文庫の作品を読み始めていたのだった…。私の筆力では、安部公房の魅力を充分に伝えきれないのが非常に残念だが、私にとっては最高の小説家であり、人間の孤独に向き合い格闘した思想家だった。コロナ禍の中で感じている今回の孤独の問題にも、安部公房の諸作品には、きっと大きなヒントがあると思う。
とここまで書いて、安部公房は、日本の私小説の伝統から外れた存在であったことを思い出した。満州が舞台の小説はあり、安部公房の体験が反映されているのではと思われる部分もあるが、私小説とは全く趣が異なる。一方で、私の「さみしさの研究」という当事者研究私小説的で、個人的体験を重視しているのは面白い対比だと思った。