心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

羅針盤を見失って

大学に入る前は、「第一志望を目指す」という明確な目標が羅針盤となってくれた。そこを目指せば良く、学力もそれなりにあった。進学校の高校で、宿題の質量ともにハードだったが適応できて、自分としては楽な生き方ができた。

しかし、大学入学後は、羅針盤を見失った。自分で自分の生き方を決める、自分で自分の進路を設定するということが、非常に下手だったのだと思う。

学業・人生について、羅針盤設定をしないといけないことにうすうす気づきつつも、放置して、囲碁部という楽しみにうつつを抜かした。
(今、仕事の問題を放置して、ひたすら将棋に打ち込んでいるのも再現している。)

理学部に入学し、数学や科学に興味を持ちつつ、それを仕事にするという明確な決定をできずに、ただただ囲碁部にいた。アルバイトも試験採点のアルバイトをしていた程度だった。
数学者や科学者が格好良いというだけで、それ以上は、本当に何も考えなかった。なるための努力をしなかった。努力の仕方も結局分からなかった。

生活リズムがおかしくなり、昼前に起きることも多かった。大学入学直後、GWを待たずにに既に、授業をサボりだしていた。
囲碁部の雰囲気も助長し、モラトリアムを謳歌した。しかし、モラトリアムにはいつか終わりが来る。伸び悩み、目標としていた団体戦メンバーにもならず、囲碁にも心が折れた。大学卒業後、ほとんど石を握っていない。

2回生の後期の数学の代数学の授業、先生が言っていることが全く分からず、心が折れてしまった。さすがに自分には数学は無理だと悟った。
3回生で、しれっと化学系に移ったが、不器用で実験についていけなかった。(座学はまだ理解できた)
就職できないことが恐怖だったが、就職後、自分が会社員生活に適応できるイメージもなかった。とにかく、ノーイメージで、グラグラしていた。

相談できる友達や先輩はいなかった。学生相談室や学内診療所にも行ったが、好転はしなかった。(しかし、まだ行けただけでも良かったのかもなと今は思う。)

父親もまだ存命で、いろいろとゴタゴタしていた。学生相談室での私の主訴の一つも家族からみであったと思う。

研究がまったく結果を出せずに、卒業し就職し、当然のように場不適応を起こし、仕事は長続きしなかった。

無職で自宅療養生活をしたのち、奇跡的に回復し、なんとか精神保健福祉士の仕事をしている。しかし、それでハッピーエンドかというとそうでもなく、この領域でどういう仕事をしたいのかというコアな問題から、逃げようとして、ひたすら将棋をしている。

息抜きとしてはよいが、結局羅針盤設定の問題に戻っているなと思う。