心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

複雑から単純へ

青春期からとても悩んでいた。本当の気持ち、純粋な気持ちというのが果たしてあるのかだろうか?何か楽しいことがあっても、それを素直に楽しんでいいのか悩んでしまう屈折したところがあった。腑に落ちる直前で、いつも考えてしまう。つらかった。相手が笑顔をみせてくれて安心する半面、その笑顔が素顔に戻る瞬間を怖がった。複雑な家庭環境のせいもあるだろうし、私の生まれつきの性格でもあっただろう。そして、極度に失敗を恐れた。家庭自体が閉じこもり気味で、私は外で失敗体験も成功体験も積めなかったように思う。特に対人コミュニケーションの部分で、なにも体験できなかったのが悔やまれる。だから、ちょっとした失敗でクヨクヨしていた。眠れない夜もあった。酒を飲みながら、一人で深夜まで考えることもあった。でも、なにか得られたということは特になかったように思う。

社会に出て仕事をしたとき、その屈折した性格・認知の問題がいよいよ顕在化する。人ともコミュニケーションをとりづらい。技術職の仕事であったが、致命的なコミュニケーション能力欠如で、仕事に支障をきたし、やがて長期欠勤が始まる・・・

休職退職、長期離職、精神科通院はつらいことだったけれど、自分の生きるフォームを見直すキッカケにもなった。投薬治療だったり、デイケアなどの心理社会的治療を受けたりしながら、思ったのは自分がどんどん「単純」になっていくことだった。人の言うことを素直に聞く。全く疑わないというのではないが、まず信じてみる。昔は、スタート地点でこの道が正しいのか間違っているのかを延々一人で考えていた。今は、その時間がもったいないので、まず実践的に歩きだしてしまうことにしている。間違ったら、戻ってくる勇気を持ちさせすればいい。今の自分を気に入っているし、悪くないと思う。考えるべきこと悩むべきこととそうでないことを切り分けられるようになった。今は、そんな自分を「素直に」受け入れている。