安部公房の小説『燃えつきた地図』を思い出しました。長い徒労の末、主人公の探偵は記憶を失ってしまいます。わずかな手がかりを頼りに電話をかけ、どうやら知り合いらしい女性が出てくれ、迎えに来てくれることになります。普通ならそれでよしとするところだと思うのですが、この小説では驚くべきことに、彼はその女性を待たずに自ら歩き始めるのです。
「誰だって、今のぼくと同じように、狭い既知の世界に閉じこめられていることに変わりはないのだ」
「やってくる、救いの主が、自分の地図を省略だらけの略図に過ぎないと自覚させる、地図の外からの使いだとしたら……その人間もまた、存在しながら存在しないあのカーブの向こうを覗き込んでしまったとことになるのだ」
「探し出されたところで、なんの解決にもなりはしないのだ。今ぼくに必要なのは、自分で選んだ世界。自分の意志で選んだ、自分の世界でなければならないのだ」
「過去への通路を探すのは、もうよそう。手書きのメモをたよりに、電話をかけたりするのは、もう沢山だ」
最初に読んだのは20年以上前ですが、閉じ込められている状況や疎外されている状況を彼固有の問題とせずに一般化し能動的に捉えようとする過程が、私のさみしさの研究過程そのものだなと感じました。