心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

罰ゲームから対話ゲームへ

当事者研究の場で、自分の家族をRPGにたとえて発表するシリーズをしていた。小ボス、大ボス、村人A、不肖私が勇者を務めるRPGだ。スタート地点の実家からバトルが始まり、レベル1の私はあっけなく倒れ、使命を与えるはずの王様の住む城にすらたどり着くことが出来ない。そんな悪夢のようなクソゲーだ。

しかし、あるときからモンスター図鑑を手に入れ、敵キャラの攻撃パターンを知るようになった。そして、戦い方や戦術を覚えるようになった。1対2の戦いを避け、戦うときは1対1とした。また、松明を手に入れ、家族の密室部分を少なくするようにした。決めごとをするときは、できるだけ、皆が集まっている時にするようにした。その発表を聞いていた支援者は、「いつかこのクソゲーは、クソゲーでなくなるかも知れない」と言った。正確には、クソゲーでなくなる条件をなにか言ったような気もするが、忘れてしまった。しかし、光明が見えたような気持ちになって、うれしかった。

現在、家庭も相変わらず問題を抱えたままだが、少しは努力したかいがあったと思っている。家族のことで大きな不安を抱えて、本当につらかった時期がある。そんな状態では、うまく社会に馴染めなかった。楽しいことがあっても、腹の底から笑えるときはなかった。家族のせいで私が気分障害になったわけではないが、回復が遅れた一因には家族のゴタゴタがあると思っている。その頃は、人生がクソゲーというか罰ゲームのように感じられた。(学歴からすると意外に思われるかも知れないが…)

ところで、今日、ある支援者から、「今の幸福度を数字で表すと何点ですか?」と聞かれた。4月から正職員として就職したこともあって、「70点くらいですね」と答えた。帰り道、罰ゲームがいつの間にか終わっていたのではないかと思った。今、人生をプレイしがいのあるゲームのように感じていた。苦手だった対話も今では一つのゲームのような気もする。(仮に、対話ゲームと呼ぼう)昔は、自分のことをどの程度開示し、またどの程度非開示するかという人との距離感が掴めなかった。今では、少し対話技術を持てるようになった。時には相手の懐に入り、時には自分をさらけ出したり、相手の反応を見て、相手の話を聞く。そういうことが少しずつうまくできるようになった。私が好きな囲碁や将棋では、技術だけではなく、礼儀の要素が重んじられており、それは対話ゲームでも同じだ。相手を尊重することだけは絶対に忘れずに。そして、少しの勇気で、この対話ゲームを楽しんでいきたいと思う。