心の椅子

精神的支えのことを「心の椅子」と呼んでいます。思わぬ体調不良の予防に役立つと思い、このブログを立ち上げました。

就職活動

専門学校での学生生活も思いがけなく順調に行った。入学前は、やはり体力面・精神面が不安だった。ちょっとしたことから調子を崩し、休みが続いてしまうかも知れない。不安は確かにあった。入学前、かなり安定してきたとはいえ、突発的に調子を崩し、グループホームの仕事を休むことがあった。一日家でゆっくり過ごせば、大抵次の日は行ける程度ではあったが、そういう日が多くなるのではないかという不安も確かにあった。しかし、蓋をあけてみれば、そういった休みは一年間を通してなかった。強いて言うと、国家試験後に、咳が止まらないことがあって、通院のために専門学校を休むことがあったぐらいだ。

ある意味、これは奇跡だと言っていいと思うのだ。そう思うとき、自分は「オープン・ユア・アイズ」の世界にいるような気がして、少し不安になる。「オープン・ユア・アイズ」はかなり有名な映画だと思うが、少し紹介させてもらう。ものすごいイケメンで大富豪の御曹司の男性が、交通事故に遭い、回復不能なまでに顔を損傷してしまう。整形外科で直せないレベルで、プラスチック製の仮面を被らなければならない。相手に困らなかったはずの女性たちもいつかいなくなってしまい、絶望してしまう。

しかし、ある日、手術してくれる医師が現れて、顔が完全に回復する。それだけで終わらず、奇妙なことが起こり始める。恋人としつこく言い寄ってくる女性が入れ替わってしまうなど、自分の正気を疑う事態まで発展していく…ラストの屋上のシーンがとても印象的で好きな映画だ。

なぜ、この映画を思い出すかと言うと、主人公のように奇跡的な回復を成し遂げたからだろう。ただし、この映画のような奇妙な出来事が起こらないことを祈りたい。自分は正気で、夢の世界の住人ではないということにさせてほしい(笑)。

閑話休題。11月に、グループホームの母体の精神科病院Aが求人を出した。とうとう来たか…。応募しないわけにはいかない。そこは患者としても利用者としても非常勤職員としても過ごした、一言で言い表せない病院だ。試験の内容を詳細に書くのは差し障りがあるので控えたい。しかし、グループワークを重視されていたように思う。手作業のグループワークは、話し合いはできたが、結果は他グループに完全に負けてしまった。しかし、次は話し合うだけのグループワークで、そのときは司会を買って出た。そういうことが性に合っていたので、いい感じでできたと思う。二次試験の面接まで行った。感触もよく、どの部署で仕事をしたいかも聞かれた。私の悪い癖で、なんとなく受かった気になってしまって、後半緩んでしまったのが悔やまれる。

二次試験の結果が出るまでに、別の精神科病院Bが求人を出した。そこには通院していなかったが、利用者としてお世話になったり、スピーチさせてもらった機縁のある病院だ。見学に行く前は、当事者であることは特に言わなかったが、見学後去り際に告げた。担当の女性は、「ああっ、そうですよね。見たことがあると思いました」と仰った。

採用試験当日。ペーパーは問題なく解けた。さて、問題は面接なのだ。持てる力を出せるかどうか…。緊張はしたが、悪い緊張ではなかった。病気のことは丁寧に説明できたと思う。リスクは他の方よりもあるけれど、それに対する日常のケアを丁寧にしていることを説明した。採用者を不安にさせないように、説明できることは丁寧に説明できたと思う。

精神科病院Aは残念ながら不採用だった。それは仕方がない。しかし、精神科病院Bには内定をいただき、採用者の方と二人で話し合う機会があった。そのときは胸がいっぱいで、ただただ話を聞いていただけだった。精神障害者精神科病院精神保健福祉士の正職員として働けるのだ。採用者も思い切ってくれた。後は、その気持に応えたいだけだ。

今、5ヶ月が経ち、どうだろうか?怒られることも多く、ビクビクすることも多い。医師に怒られる夢で、はっと目が覚めた夜もあった。でも、なんとかくらいつけている方だと思う。自分をほめてやりたいと思うのだ。

もし自分が担当する精神障害者の方が精神保健福祉士を目指したいと行った時に、ブレーキをかけずに、応援する側の人間でありたいというのが、今の自分の目標だ。